« 『グランプリ紀行』メキシコ篇です〜。 | トップページ | 23年ぶりのメキシコGP、大盛況でした。 »

2015年11月 1日 (日)

ホンダF1初勝利から、50年が経ったのですね。

ホンダがF1で初勝利を挙げたのは、今からちょうど50年前(!)の1965年10月24日、僕が今滞在中のメキシコシティのサーキットでした。

Cha_001_pho4

戦時中、ジェットエンジンの開発に携わっていた中村良夫総監督が、標高2200mの高地に適した混合気を調整し、そんなノウハウを持たないライバルたちに勝利したというエピソードは、あまりにも有名です。

僕自身はあのレースで圧勝したイメージを漠然と持ってたんですが、改めて資料に当たってみると、そうでもないんですね。

まずポールポジションでは、なかった。ホンダのリッチー・ギンサーは、ロータスのジム・クラークからコンマ3秒落ちの3番手でした。

Th__20151101_92813そしてレースも、

Th__20151101_93041

2位のダン・ガーニー(ブラバム)を、2秒89差で辛くも振り切ったという感じです。中村さんのノウハウがなかったら、おそらく勝利はおぼつかなかったんでしょうね。

(附記)当時の映像があったので、見てみました。スタート直後にガーニー、クラークをかわしてトップに立ち、それ以降はチェッカーまで首位を譲らず。その意味では、圧勝といっていいかもしれません。

当時の実況(録画を見ながらだったでしょうけど)、いい感じです。

あれから半世紀。

Th_pa310863

もし中村さんが今も存命で、この地を再訪していたら、どんな感想を漏らしたことでしょう。

Th_pb011083

晩年も毒舌ぶりは全然衰えてませんでしたから、F1の現状も含め、さぞ辛辣な言葉を吐いていただろうな〜。

優勝したあとに打った有名な電報「Veni,vidi,vici(来た、見た、勝った)」にしても、「本社の連中で、あの意味がわかる人間が誰もいなくてねえ」と、いかにも戦前の旧制高校、帝国大学を出た教養人らしい思い出話をしてくれたものです。即座に理解できる人の方が、むしろ希少なんですよ、中村さん。

そういう人だったから社内ではかなり浮いてしまってたんでしょうけど、ヨーロッパのあちこちをいっしょに巡りながら、中村さんと過ごした日々は、僕には至福の時間でした。

 

|

« 『グランプリ紀行』メキシコ篇です〜。 | トップページ | 23年ぶりのメキシコGP、大盛況でした。 »

F1」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。leahと申します。
柴田さんのYoutube動画、グランプリ紀行が大好きです。
F1スタッフさんたちとの雑談や現地情報など、
飾らず見せてくださるので、
とても気持ちよく楽しく拝見しています。

ブログも、いつも楽しみにしています。
今回、日本へご帰国ということで、
今までフランスをはじめヨーロッパ各地の情報など、
とても楽しませて頂いた感謝の気持ちをお伝えしたく、
コメントを書きました。

F1のこと、海外情報、柴田さんの書くメッセージ、お写真、
見るたびに元気をもらっていました(^^)
いつもありがとうございます。
お忙しい日々かと思いますが、
日本へご帰国後も、柴田さんのブログ更新楽しみにしています!

投稿: leah | 2016年3月16日 (水) 05時40分

leahさん、こんにちは。はじめまして。温かいコメント、本当にありがとうございます。中村さんとの思い出を綴ったこのブログにコメントして下さったことも、とてもうれしく思いました。

実は帰る直前のドタバタや、帰って来てからの住所不定状態などなどが一段落できておらず、フランス暮らしを懐かしく思う気持ちはまだ全然芽生えてきません。もう少ししたら、じわじわと実感してくるんでしょうけど。

これからもleahさんを始めとする楽しみにしてくれる人たちのために、ブログを書き続けようと思います。

改めて、ありがとうございます。元気を、いただきました。そして今後も、よろしく。

投稿: ムッシュ柴田 | 2016年3月17日 (木) 15時33分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ホンダF1初勝利から、50年が経ったのですね。:

« 『グランプリ紀行』メキシコ篇です〜。 | トップページ | 23年ぶりのメキシコGP、大盛況でした。 »