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2011年5月10日 (火)

1981年5月10日。

 1981年5月10日、ミッテラン大統領が誕生しました。フランス第5共和制で初の社会党大統領という事実以上に、人々は変革への期待に熱狂したものです。

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 当時まだ日本にいた僕は、仕事を辞めてフランスに渡る決断だけはしていました。この日(時差からすると翌日だったか)タクシーに乗ると、ラジオから「Mitterand,President!」と叫ぶ支持者たちの声が流れている。窓を開ければ、そこにパリの景色が広がっているような臨場感を感じました。新しい時代を迎えるフランスで生きていくんだと、武者震いに似た気持ちが起きたことを、今も覚えています。

 翌年早々にパリに渡り、悪戦苦闘の日々を送りながらも、ミッテランのことは、いつも意識の片隅にあった気がします。その後のシラク、サルコジとは、比べ物にならない存在感の持ち主でした。言葉を大事にする政治家であることは、異邦人の僕にも十分にわかりました。だから重要な節目に行ったTV演説は、僕もじっと聴き入ったものです。

 あの日から、今日でちょうど30年。思えば、遠くに来たものです。





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コメント

私は、マーストリヒト条約に加盟するかを問う国民投票で、劣勢だったのを投票直前のテレビ番組で逆転させた時のことが思い出されます。このテレビ番組は、始めに国民の代表数十名の疑問に答え、次に反対派急先鋒だったフィリップセガンと対話し、最後に「同胞の皆さん」と国民に対して呼びかける演説で終わったのですが、翌日の新聞調査で賛成が過半数を超えました。国民に直接語りかけるときの彼は聞く人に安心感を与えるオーラがあったように思います。既に癌末期で蝋人形のようだったにもかかわらず。

投稿: minmin | 2011年5月11日 (水) 08時44分

マーストリヒト条約加盟は、死刑廃止と並んで、後世に残るミッテランの業績でしょうね。目的のためには手段を選ばない冷徹な面もあったようですが、フランスと欧州の未来への明確なグランドデザインを持ち、その実現に邁進した政治家でした。

個人的にはルーブルのピラミッドとか、新凱旋門とか、国立図書館とか、巨大モニュメントがどんどん建ってくのを見るのも楽しかったですね。あとは毎年夏至のNuit Blancheとか。

投稿: ムッシュ柴田 | 2011年5月11日 (水) 11時31分

隠し子の話とか側近だったベレゴボワ首相の自殺とか、現代の政治家だったらそれだけで政治生命を失いそうな話をなんでもない話で収めてしまうところは、本当に怖いくらいでした。特に後者は殺人説とか、少なくとも口封じのために自殺に追い込む圧力をかけたとか、真しやかにメディアにでてましたよね。でも彼の先を見通す力が世界的に見ても希有であったことは歴史が証明しているように思います。

投稿: minmin | 2011年5月11日 (水) 21時16分

実際に会ったらシラクの方が、好々爺みたいで世間話もできそう。それがミッテランだと、圧倒的な知性と存在感に呑まれてしまって、ひとことも口を利けないかも。思想信条は違うにしても、ドゴールの影響を強く受け、同じように強い信念の持ち主だったんでしょうね。

投稿: ムッシュ柴田 | 2011年5月11日 (水) 21時59分

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