『ラブミーテンダー(なに言ってんだー)』忌野清志郎
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F1ドライバーたち全員の、日本語による震災被災者へのメッセージ、「言葉のリレー」が、YouTubeに上がってます。(こちら)
写真で何人か紹介すると・・・。
去年の世界チャンピオン、セバスチアン・ベッテル。
日本と縁の深い、ジェンソン・バトン。
震災の当日、真っ先に心のこもったコメントを発したフェルナンド・アロンソ。
ヘルメットに喜んで「がんばろう、日本」のステッカーを貼ってくれた、ミハエル・シューマッハ。
そして小林可夢偉も。
彼らといっしょに、息の長い支援をして行きたいと、あらためて思いました。
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開幕戦恒例の記念撮影が、日曜日のレース直前に行われました。
普通なら、これで終わりなんですが、
今年は、特別にこれも。ありがたい(一応クリックして、拡大可能です。拡大する価値のある美形は、さほどいませんが・・)。
そしてドライバーたちはスタートラインの前に集合して、1分間の黙祷を捧げました。確か2001年の、アメリカ同時テロの犠牲者をイタリアGPで悼んで以来の、黙祷だったと思います。
可夢偉の隣にいる異様に背の高い紳士は、メルボルンのあるビクトリア州の州知事(だと思う)。後ろの方に隠れてた可夢偉の腕を掴みながら、「もっと前に出なよ」と引っ張ってきたところです。
可夢偉くん、直後のレースでせっかく8位入賞を果たしたのに、車両規程違反で失格になっちゃいました。
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今日(25日)、開幕戦オーストラリアGPの初日練習走行が行われたんですが、F1では今まで見たこともない光景が。
ほとんどすべてのチームが、クルマやドライバーのヘルメットに、被災者に向けての激励や祈りの言葉を貼ってくれたのです。F1村の人々が、ここまで足並みを揃えてひとつのメッセージを世界に発信するは、本当に稀有なことです。
ちなみにこのステッカーは、日本メディア有志製。
可夢偉の所属するザウバーは、独自のメッセージ。
フェラーリも自分とこで作った特大のを、相当目立つところに貼ってくれてました。
日本といろいろ縁のあるジェンソン・バトンは、ヘルメットに特製の「頑張れ日本」メッセージ。
それから写真にとり損ねましたが、シューマッハもわれわれのステッカーを、ドーンとヘルメットの目立つところに貼ってました。
有力チームでいっさい付けてないのは、レッドブルだけ。あそこは、空力命ですからね・・・。
ドライバーたちはこのあと、TVカメラに向かって、日本語で激励メッセージをしゃべってました。チャリティオークションも、今後開くそうです。
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今、日本ではこの人の『上を向いて歩こう(sukiyaki)』が被災者への応援ソングになってるみたいですが、個人的にはこれも捨てがたい。
サイトは、こちらです。
他にも、『SazaeSan』、『Doraemon』、いろいろあるよ。
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一方こちらは、「シーベルト」(被曝量)をめぐる報道に、(笑いながらも、けっこうマジメに)疑問を呈しているサイトです。
いたずらに恐怖を煽るのも問題だし、危険を過小評価するのもいけない。正確な情報を与えてもらえないと、最低限の正しい判断ができないですよね。
と、ここまで書いてからサイトを確認したら、何と削除されてました。「YouTubeの利用規約に違反したため、削除されました」と。具体的に利用規約のどこに違反したのか読んでみたんですが、よくわからない。映画の一部分の無断借用だから?ヒトラーを映してるから?内容自体は、不適切でも暴力的でもない、しごくまっとうな表現に終始していると思うんですが。残念です。
(ニコ動では、まだ大丈夫らしい・・・)
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ここ数日はやや沈静化してますが、フランスのTVでの原発事故報道はちょっとひどい。チェルノブイリとの違いもわかっていないどころか、原発と原爆を混同して、「最悪の場合、爆発する」と言っている解説さえありました。
それですっかり恐怖心を抱いてしまった人たちには、このアニメを見てほしいです。すごくよくできてます。
サイトは、こちらです。
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現在バルセロナで、オフ最後のテスト中。今日(10日)、ルノーの専属医師チェッカレーリが、ロバート・クビサの回復状況について、会見しました。
世界チャンピオンも狙えるであろう、才能あるドライバーの話題なので、みんなの関心も高かったです。クビサは2月にイタリアのラリーに出場中、ガードレールが車内を貫通する大事故に遭い、右腕がほとんどちぎれかかる重傷を負いました。
「手術は成功し、今は右腕も手首も指も動かせる。回復は非常に順調だし、ロバート自身も1日も早い回復を熱望してる。ただし退院の時期は、今のところ未定だ。いつカムバックできるかも、今は言えないよ」。
F1が本職だけど、ラリーで走るのも大好きという昔かたぎのドライバー。あの茫洋とした外見の、でもいったんクルマに乗るとハンパじゃなく速い彼の勇姿を、また見たいものです。
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娘の通う小学校の今の校長は、意欲的な催しを次々に打ち出す女性です。で、今度は何をやるのかと思ったら、「全校帽子コンテスト!」ですと。
「マルディグラ(謝肉祭の火曜日)」の朝、思い思いの手作りの帽子をかぶった子供たちが、中庭に集合。
そして父兄の見守る中、クラスごとにファッションショーよろしく披露して歩きます。
うちのは、エッフェル塔と凱旋門を飾ったとんがり帽子に、桜の花びらを散らしたデザイン。
スキー合宿の友、S家姉妹は同じ桜の意匠ながら、純日本風かつ実に華やかな帽子でした。材料はほとんどすべて、日本出張の折りにパパが100均で求めたものとか。とても、そうは見えません。
コンテストなので、「優秀作、個性的な作品は表彰する」とのこと。フランス人父兄はそういわれると燃える人が多いのか、あっけにとられるような帽子が続々登場したのでした。
(続きます)
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3月7日の夜遅く、フランスのTVをぼんやり眺めていると・・、
「3月8日午前0時をもって、パリを含むイル・ド・フランス地方は、完全地デジ放送に移行しますよ〜」と、キャスターが呼びかけてました。画面左上には、「あと8分」のカウントダウンの表示が出てる。
せっかくなので、歴史的瞬間に立ち合ってみるかと、眠いのをガマンしてTVの前に座り直しました。
「地デジ完全移行のために、エッフェル塔内では数カ月前から準備を進めていました」。
あと3分48秒。
ついに、午前0時1秒前。画面はどうなるのかと、ちょっとだけ固唾を呑んだんですが、な〜んにも変わらず。スタジオにいる人たちも、地デジのことはもはや話題にもしない。
きっとアナログ放送は、ひっそりと終了してるに違いない。そう思って切り替えてみましたが、いつものようなボンヤリした画像ながら、こっちも何事もなかったかのように放送が続いてる。「地デジ完全移行」って、いったい何が変わるわけ?
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オリヴィエが亡くなって、もう1年以上が経ちます。僕のパリでの、お兄ちゃんのような人でした。
そんな折り、『デカルグ家の3世代』という展覧会が、彼の生まれ育ったフォントネ・オ・ローズ市で開催されました。祖父エチエンヌ、父ピエール、そして息子オリヴィエの作品を通して、3人の足跡をたどるもの。
エチエンヌ(左)は弁護士でしたが、水彩の風景画は日曜画家のレベルをはるかに超えていた人。ピエール(真ん中)は美術評論家として、イヴ・クランやポール・ビュリー、タンゲリなどの才能を発掘した人。そしてオリヴィエ(右)は、詩人、写真家でした。上の「99年8月11日の日食」の写真も、彼のです。
会場は部屋ごとに、3人の作品が展示してあります(中央はピエールの撮った、若き日のニキ・ド・サンファル)。
「ボリス・ビルデ通り6番地前で遊ぶ子供たち」。フランスに着いたばかりの僕も、この家の屋根裏部屋に2ヶ月ほど居候になりました。毎週末には、ピエールとカトリーヌ夫妻の招く、錚々たる顔ぶれの芸術家たちの夕食会を相伴し、半分も理解できない話をかしこまって聴き・・。もう、30年近く前の話です。
入院中のピエールも初日だけは顔を出し、昔のようなユーモアたっぷりのスピーチをしてました。
在りし日の、オリヴィエ。
そして、その孫たち。昔、僕がよくベビーシッターしていたオリヴィエの息子アレクサンドルが、フィンランド人女性と結婚。その子たちです。エチエンヌから数えると、5世代目だ。
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政情不安のため、3月中旬のバーレーンGPが中止になりました。勧進元は「代わりに11月にやりたい」なんて言ってるけど、さてどうだろう。「もうTVでバーレーンのことが報じられてない(から大丈夫)」というほど、こちらは能天気になれない。個人的な感触としては、もうあそこでF1が開催されることはないんじゃないかという気もする。
これじゃ、F1どころじゃないよね。
そんなふうに思っていた折り、ネットに面白い主張が出ていた。「日経ビジネス」オンライン版に連載されている「常識の源流探訪」というコラムの3月2日付『「北方領土」でもあり「オキナワ」でもあるバーレーン』という記事だ(こちらです)。
思い切り要約すると、「バーレーンは全島の半分が米軍基地になっていて(オキナワ)、アメリカにとっての軍事的重要さは、リビアの比ではない。またバーレーンはイランに代表されるシーア派地域の中で、唯一スンニ派が政権を握っている飛び地である(北方領土)。これまたスンニ派の中東諸国にとっては、リビアなんかよりよほど政治的影響が大きい。日本人はこの地域のパワーバランスを冷静に見極めつつ、対処を誤るな」というもの(合ってるかな?)。
筆者の伊東乾(いとう けん)氏は、東大で物理を修めてから、作曲家、指揮者になったという変わった人。いつも面白い視点で、文章を書いている。今回のバーレーンについてのコラムも、なるほどなと思わされた。もう10回近くバーレーンに通ってる僕たちは、今まで一体何を見ていたのだろうね。
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しこしこと原稿を書いている傍らで週刊誌を読んでいた嫁が、「高津は、エライ」としきりに感心している。何事とのぞき込むと、プロ野球選手の高津臣吾のことだった。
僕は世代的にほとんど馴染みがないのだけれど、その経歴だけでも、なかなか凄い人です。
1990年にヤクルトからプロデビューし、長い下積みを経て、救援投手として高い評価を得る。そして36歳の時に、念願のメジャー挑戦を果たす。メジャーとマイナーを行ったり来たりした末の2年後、同僚だった古田が監督を務めるヤクルトに復帰。しかし古巣での2年間のことは「今でもあまり話したくない」と本人が言うほど、ツライものだったようだ。
そして2008年に、メジャー再挑戦。今回は最初から、マイナー契約だった。しかし結果を残せずに、すぐに戦力外通告。すでに40歳に手が届きかけていたけれど、本人の現役続行の意思は固く、他球団の入団テストを受けるも、落ちてしまう。半年後に韓国球界に活躍の場を求め、好成績を挙げるものの、球団の方針から放出される。
2009年、なんと三度目のメジャー挑戦。サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。とはいえメジャーに上がることは今回もかなわず、翌年には台湾へ。13セーブを挙げるが、オフに契約打ち切りを告げられる。そして今年、独立リーグの新潟アルビレックスに入団。現在、42歳。単身赴任中。
野球さえできれば、どこにでも行くという気迫が、経歴からだけでも伝わってきます。
フリーの鑑(かがみ)だな・・。
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ものすごく久しぶりに、13km近く走りました。最初は、ゆっくり。少しずつ、ペースを上げて。先週、おそるおそる10km走った時は、1kmほどでカカトが痛みだし、身体が温まった3km過ぎぐらいから少しずつ楽になって行くパターンで、でも走り終わってカカトを触るとやっぱり痛くて、ちょっとクラくなったものでした。
それが今日は、1km5分30秒ぐらいで走っても、全然問題なし。帰ってカカトを押しても、痛くない。
1月初めに発症して、最初は無理やり走り続けてました。でも2月15日に、激痛が走って4kmで引き返してからは、さすがに安静を心がけました。おかげで2月の月間距離は、21kmという始末。でも生来ナマケモノなのか、特に焦ったりもせず。前回バルセロナ出張にも、初めてシューズを持って行かず、毎晩飲んだくれてたし。
さて来週のハーフマラソン、どうしようかな・・。
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