東海道島田宿。
父親の法事で、実家に戻っておりました。17回忌の法要を営んだお寺の廊下を歩いていると、こんなものを発見。
幕末安政年間(1854〜59年)の、東海道島田宿の古地図から起こしたものらしい。近くに寄ると、一軒一軒が克明に記されていて、とても面白い。(かなり大きく拡大できます。)
真ん中を左右に走る道が東海道で、当時のメインストリートである。今は他の多くの地方都市同様、シャッター商店街に近いけれど、当時は相当賑わっていた様子がわかる。
まず本通3丁目から4丁目にかけて、上、中、下と3つの「御本陣」が控える。ウィキペディアによれば本陣というのは、
「 江戸時代以降の宿場で大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。」とある。(こちら)
たとえば「下の御本陣」は、「間口16間」という添え書きがある。1間は約1,8mなので、約30m近い間口の大邸宅だったことになる。残念ながら今は、上中下ともに現存していない。
他の家々を見て行くと、旅籠(旅館)が多いことに驚く。「梅屋」「池田屋」「紀国屋」などなど。ほとんど2軒に1軒といっても大げさでないくらい、特に本陣周辺に集中している。なにしろ大井川が増水すると、江戸からの下り客たちはここに逗留するしかなかったからね。
ちなみに「中屋」という旅籠を営む渡邊弥作は、どうやら僕の幼なじみの先祖であるようだ。今も同じ場所で、呉服屋を経営している。小学校時代に遊びに行くと、裏庭にプールがあったりして、ハイソな家だったことを思い出した。
他にも「茶屋」「提灯職」「金物屋」「質屋」「そば」などなどが、ずらりと並んでいる(「すし・餅」という店は、寿司と餅をいっしょに売ってた店?)。旅人の往来、店の呼び込みの声などの喧騒が聞こえるよう。そして一歩裏に入ると、名字のない間口の狭い家が続く。農家だったのかな。いや、興味深いです。
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