遅まきながら、ボジョレーの凄さに触れる。
生まれて初めて飛行機に乗って、初めて行った外国がフランスだった。2ヶ月近く、バックパックを担いで、あちこち旅行した。
そんな旅も終わりに差しかかろうとしていた9月の初め、リヨンのユースホステルで「葡萄収穫のバイトあります」の張り紙を見た。そろそろ旅費も乏しくなっていたし、面白そうだしと、そこから数10km北にあるボジョレーまで、ヒッチハイクで出かけた。
もう30年以上も、昔の話である。1週間ほど滞在したシェナス村は、今思えばボジョレーAOCのひとつだった。でも当時はそんなことに興味も知識もなく、なにより当時の僕は、アルコールはビール一杯が限界だった。
残念ながら僕が雇われたのは農家で、造り手ではなかった。収穫した葡萄は、そのまま村の生協に運ばれたはずだ。その夏のフランスは200年ぶりという大干ばつに襲われ、とにかく暑かった。そして仕事も、過酷だった。
ゆるい勾配をにじり上がるようにして、しゃがんだ姿勢のまま1日中葡萄を摘んでいく。かたわらには、5リットルは入りそうなガラスの大瓶が置かれ、中には安物の赤ワインがたっぷり入っている。それを水代わりにがぶがぶ飲む。でも全然酔わない。アルコール度も低かったと思うが、すぐに汗になって蒸発してしまうのだ。
時には収穫した葡萄を、回収する係もやらされる。鉄製の大カゴを担いで、みんなのところを回る。そして巨大なコンクリート槽にざざあっと空けて、泥だらけの長靴のまま中に入っていき、足で踏み続けるのである。夜、雑魚寝の宿舎に戻ると、両肩の皮がすりむけていたものだった。
・・思い出話が長くなってしまったけれど、そんなわけでボジョレーは安くて、ぞんざいなワインという印象が、僕の中には消しがたく刻印されてしまった。
でも暮れに呑んだサン・タムールで、その先入観は少し修正された(「ちょっと古いボジョレー」)。さらに決定的だったのは、ワインの師匠M氏の、ボジョレー讃歌(「ボジョレーは世界で一番美しい」)。この素晴らしい文章と写真は、ぜひ味わっていただきたい。
ならばと先日、セーヌ左岸のデパート「ボン・マルシェ」に行ったついでに、こんなワインを買ったのだった。
(続きます。)
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コメント
数年前ブルゴーニュで1日だけ葡萄の収穫のお手伝いをしたことを思い出しました。
日の昇る前から始めてとても寒く、葡萄回収係の"panier!"の声のときに他の人の列に遅れるのが悔しかったのでムキになっていたら、何回も房の根元と一緒に手を切ってしまったりで大変でした。
でも、畑で見た美しい朝日、お昼に出してもらったおいしい賄い飯、ビンに入った変な色のワインを皆でがぶがぶ回し飲んだり、摘みながら畑による葡萄の味の違いを確認!?できたり、何もかもが初めての経験。終わったときは疲れ果てたけれど、その充実感は忘れられません。
ただ、一日だけだったから美しい思い出になったのであって、ムッシュのように何日も続いたらそれどころではなかったのでしょうね。
投稿: しろみ | 2008年2月18日 (月) 08時40分
もうそんな昔になるんですねぇ。。。。
ブルーのバックパックでしたね。
寮生Mくんと一緒に貴兄に連れて行ってもらった学生街のレストランでMenuのチキンの煮込みを食したと記憶しています。
実にうまかった。うん。
投稿: 寮生Y | 2008年2月18日 (月) 11時14分
200年ぶりの大干ばつというのは、1976年のことではないですか。
この年のブルゴーニュはタンニンがものすごく強いのですが、ボージョレも十分飲めると思います。パリにいるときにはMoulin-a Vent66を飲みましたが、とてもおいしくて驚きました。
投稿: minmin | 2008年2月18日 (月) 13時12分
しろみん、こんにちは。
さすがに30年以上も経つと、美しい思い出になってますヨ。重くて痛かったけど。
寮生Yくん、
驚いた。色まで覚えててくれたとは。学生街のレストランって、学食だったっけ?
師匠、
まさしく76年でした。さすがにChenasはもはや存在しないだろうけど、ぜひボジョレー76年を探してみたい。
投稿: ムッシュ柴田 | 2008年2月18日 (月) 14時43分